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東京地方裁判所 昭和57年(ワ)4589号 判決

原告・反訴被告 甲野一郎

右訴訟代理人弁護士 中村護

同 橋本幸一

右訴訟復代理人弁護士 西澤圭助

被告・反訴原告 甲野二郎訴訟承継人甲野春子

〈ほか二名〉

右三名訴訟代理人弁護士 岡野謙四郎

同 小玉聰明

主文

一  被告ら(反訴原告ら)は、原告(反訴被告)に対し、別紙物件目録(一)ないし(三)の土地につき、昭和五四年五月二三日付遺贈を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

二  原告(反訴被告)のその余の請求及び反訴原告ら(本訴被告ら)の請求は、いずれも棄却する。

三  訴訟費用は、本訴反訴を通じこれを三分し、その一を原告(反訴被告)、その余を被告ら(反訴原告ら)の負担とする。

事実及び理由

第一当事者の請求

一  本訴

1  主位的請求

被告らは、原告に対し、別紙物件目録(一)ないし(四)記載の土地につき、昭和五四年五月二三日付遺贈を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

2  予備的請求

被告らは、原告に対し、別紙物件目録(二)ないし(四)記載の土地につき、昭和五四年五月二三日付死因贈与を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

二  反訴

反訴被告は、反訴原告らとの間で、甲野太郎作成名義の、昭和五四年一月三一日付別紙(A)記載の文言が記載された自筆証言遺言(甲第一一号証)が無効であることを確認する。

第二事案の概要

甲野太郎(以下「太郎」という。)は昭和五四年五月二三日死亡し、その相続人は、同人の長男である原告・反訴被告(以下「原告」という。)と、同じく二男である甲野二郎(以下「二郎」という。)の二名であった。そして、右二郎も昭和六二年六月一三日死亡し、被告・反訴原告ら三名(以下「被告ら」という。)は二郎の相続人である。原告は、昭和五四年二月二八日、太郎のお手伝であった乙山春子を通じ受領したという、太郎作成名義の、昭和五四年一月三一日付、別紙(A)記載の文言が記載された遺言書と題する書面(甲第一一号証。以下「甲第一一号証の遺言書」という。)を保有しており、同書面に基づき、「太郎は、同書面によって原告に対し別紙物件目録(一)ないし(四)の土地(以下「本件(一)の土地」のようにいう。)を遺贈した。仮にそうでないとしても、甲第一一号証の遺言書作成の日の前日である昭和五四年一月三〇日、原告は太郎から本件(一)ないし(四)の土地を贈与する旨の申入れを受けこれを承諾したものであり、同内容を書面にしておいて欲しいとの原告の要求に基づき作成されたのが甲第一一号証の遺言書であるから、少なくとも死因贈与としては有効であると認められる。」として、被告らに対し、これらの土地について主位的には遺贈を、予備的には死因贈与を原因とする所有権移転登記手続をすることを求めたのが本訴である。そして、反訴は、被告らが、甲第一一号証の遺言書について、「同書面は、①太郎の自筆によるものではなく、②仮に太郎の自筆によるものであったとしても、自筆証書遺言としての要式を欠き、また、内容的にも特定を欠くものであるから、いずれにしても無効である。」と主張し、原告に対し、その確認を求めたものである。

一  争いのない事実

1  太郎は、かねてから写真業を営んでいたものであるが、昭和一四年ごろからは同人の二男である二郎もこれを手伝うようになり、以後昭和三二年ごろまで同状態が続いた。一方、太郎の長男である原告は家業を継がなかった。

2  太郎は、二郎が昭和二四年一一月に結婚した後も、二、三年程は、杉並区久我山《番地省略》に有していた自己所有地上に建てた、仕事場たる写真館を兼ねた建物で、二郎夫婦と同居していたが、同建物が手狭になったため、当時久我山駅前にあった太郎の家作に居住していた原告方で、原告の家族と同居するようになった。その後、昭和三二年、二郎は、当時太郎の所有地であった別紙物件目録(八)記載の土地(以下「本件(八)の土地」という。但し、当時は分筆前の久我山《番地省略》の土地の一部。)、同目録(九)記載の土地(以下「本件(九)の土地」という。但し、当時は分筆前の久我山《番地省略》の土地の一部。)上に、住居兼スタジオを建築して同建物に転居し、翌昭和三三年、太郎も、地続きである別紙物件目録(一〇)記載の土地(以下「本件(一〇)の土地」という。)上に建物(以下「本件建物」という)。を建築し、同建物に転居した。

3  太郎は、写真業によって得た利益等をもって土地を何筆も購入していたが、昭和四一年四月妻が死亡したこともあって、そのころから自己所有の土地の一部を、別紙贈与一覧表(一)記載のとおり、原告及び二郎に対し贈与した(原告はこの他に別紙贈与一覧表(三)記載の、被告らは同表(二)記載の各贈与があった旨主張している。)。尚、右贈与に当たり、太郎は、昭和四一年一二月一九日には本件(八)、(九)の土地について分筆の登記手続をなした。

4  太郎は、妻死亡後も本件建物に居住し、昭和四二年ごろからは乙山春子(以下「乙山」という。)が住込のお手伝として同建物に同居していたところ、昭和四七、八年ごろ、太郎は、別紙図面、、の各点を結んだ直線上に金網付のフェンスを設置した。

5  太郎は、昭和五四年一月三一日朝、二郎の強い勧めにより、いやいやながら、痰の培養検査の為、清瀬市にある結核研究所病院に入院した。同入院について、原告は、本人の意思を尊重すべきだとの意見を有していた。

6  太郎は、昭和五四年三月一三日ごろ退院し、以後本件建物内に一人で居住していた(乙山は、太郎が結核研究所病院に入院後間もなくして依願退職した。)が、同年五月二三日本件建物内で死亡した(死亡時満年齢は八六才)。

7  原告は、その主張によれば、昭和五四年二月二八日には甲第一一号証の遺言書を乙山を通じ入手していたにもかかわらず、当初から少なくとも昭和五六年までの間、その存在を二郎に対して一言も話さず、また、昭和五四年一二月、太郎の遺産についての相続税を申告するに当たっても、同遺言書にはよらず、遺産についての原告と二郎の権利割合は平等であることを前提とした申告をなしたが、昭和五六年一二月ごろに至りこれが存在するものとして東京家庭裁判所に対して甲第一一号証の遺言書について検認の申立をなし、その結果、昭和五七年一月二二日検認がなされた。

8  右検認について裁判所書記官により作成された調書には、同期日においてなされた二郎の陳述として、「遺言書は太郎の自筆だが印影は分からない。」旨が、同じく被告花子の陳述として、「遺言書の筆跡は太郎の自筆か分からないが、印影は見たことがあり、自分がその印鑑を預っている。」旨が、それぞれ記載されている。

9  本件関係土地及び甲第一一号証の遺言書中に引かれている青桐の木の位置関係は別紙図面のとおりである。

二  争点

1  甲第一一号証の遺言書は太郎の自筆によるものであるか。

2  遺言は要式行為であるところ、甲第一一号証の遺言書は要式の点において遺言書として有効か。

(一) 「昭和五拾四拾年一月参拾壱日」との記載をもって、日付の記載があると認められるか。

(二) 「昭和五拾四拾年一月参拾壱日」、「一郎ニ一郎ニ」の各記載について削除訂正がなされていないことをもって、無効とすべきか。

(三) 押印は太郎の意思に基づいてなされたものか。

3  甲第一一号証の遺言書の内容

(一) 「青桐の木より南方地所」との記載によって同土地部分を特定できるか。

(二) 仮に、甲第一一号証の遺言書が遺言書として有効で、目的物も十分に特定できるとして、これをもって遺贈と解すべきか、遺産分割の方法の指定と解すべきか。

4  甲第一一号証の遺言書が遺言書としては無効であった場合、これをもって死因贈与を表わした書面であると解することができるか。

第二争点に対する判断

一  争点1(甲第一一号証の遺言書が太郎の自筆によるものか否か。)について

1  《証拠省略》によれば甲第一一号証の遺言書は太郎の自署によるものであると認められ、同認定を左右するに足りる証拠はない。

この点につき、被告らは、自らが裁判外で依頼した田北勲作成の鑑定書と題する書面を提出のうえ、①これを積極的根拠としつつ、鑑定人大西芳雄による鑑定の結果(以下「大西鑑定」という。)を、信頼性がなくその証明力は皆無であると批評し、また、②甲第一一号証の遺言書が作成された経緯、時期、これが乙山を通じて原告に交付された経緯、時期についての証人乙山の証言は曖昧で、③この点についての原告本人の供述は、昭和五六年一二月ごろ甲第一一号証の遺言書について家庭裁判所に対し検認の申立をなすまでの間、同遺言書の存在を二郎に対して一言も話さず、却って、昭和五四年末ごろには、同遺言書に基づかず、本件(一)ないし(四)の土地を含む太郎の全遺産を二郎と二分の一の法定相続分の割合に従って相続した旨の内容で相続税の申告をしていること、かねてより太郎は原告と二郎に平等に財産を分けたいとの意向を持っていたところ、甲第一一号証の遺言書の内容は原告を一方的に利する、片寄った内容であること、昭和五四年一月三一日は入院当日で、太郎においてこの日に甲第一一号証を作成する時間はなかったことを理由に信用できないとして、同遺言書は太郎の自署によるものではなく、何者かによって偽造されたものである旨主張する。

そこで、まず、大西鑑定について検討するに、同鑑定は、①太郎の自署によるものではない乙第一号証を太郎の自署によるものとして資料にしたうえ、これを、太郎の自署によることが当事者間に争いのない甲第一二号証、乙第二号証の一、二、そして、太郎の自署によるものであるかが争われている、鑑定の目的である甲第一一号証の全てが同一人の筆跡であると結論づけている点、②実際には太郎は原告運転の自動車に乗り通常の形態で入院したにもかかわらず、「遺言書の各文字から推定すれば、甲第一一号証の遺言書を作成した昭和五三年一月三一日、太郎が歩いて入院したとは考えられず、恐らく搬送されて入院したものと推定される」としている点、③筆跡自体の検討、分析を離れ、「偽造する者は、甲第一一号証のように二重筆記や誤字、結体の乱れ、線の震えや切れなどをあえて書き入れ第三者に疑惑の念を抱かせるような筆跡を作らない。」との抽象的見解を断言している点で問題が全くないわけではない。しかし、右①の点については、乙第一号証を太郎自筆によるものとしたのは、鑑定を依頼するに当たって、当事者双方がこれを太郎の自署によるものと認めたからであり、具体的に鑑定事項を検討する過程においては、その作成時期が不明であることを理由に、資料として全く活用していないこと、同②、③の点についてはこれらについての判断は鑑定人個人の事情的判断であって、その判断が鑑定主文の直接的根拠になっているものではなく、鑑定主文自体は、鑑定人による筆跡についての科学的分析と同人の筆跡鑑定における経験の集積によって正当に導かれていると認められるので、これらをもって同鑑定自体を信頼性を欠くものとすることは到底できない。一方、田北鑑定は、「筆跡鑑定においては、外見上の大まかな『形態』、『筆順』等だけでなく、『細部』の『部分、部分』に隠れる、各人が形成したところの『個有筆癖』の追究、検査、確認によりこれをなすべきである。」という、一般論として傾聴に値する見解を展開しているが、その具体的内容を仔細に検討すると、①鑑定における重要な要素である筆圧、筆勢等を知るためを始めとして、筆跡鑑定においては原本を資料としなければ正確な鑑定を期し得ないことは経験則上明らかなところ、同鑑定でその資料としているものは、乙第二号証の一、二を除き全て原本ではなく写である点、②甲第一一号証の遺言書に記載している文字を、その分類の基準自体曖昧と言わざるを得ない、拙劣(下手)な文字達筆(上手)な文字達筆の中の一部に考えられないような震えとか位置のずれとかが認められる文字に三分し、「達筆な人は拙劣に書けるが、拙劣な人は達筆な文字は書けない。」、「人間は無意識のうちでも少しでも上手な字を書こうとする潜在的意識が働くもので、できるだけ拙劣な文字を書くはずは絶対にない。」との定理を立てたうえ、同遺言書にはとが混在し、かつ、も存在することに照らせば、、の文字は達筆の者が拙劣な者の文字に極力似せるべく努力して書かれた偽筆文字であることが明らかであると単純に結論づけている点に鑑み、問題があることを否定できず、したがって、大西鑑定の結果に沿った前記認定は、田北鑑定により何ら左右されない。なお、被告が指摘するとおり、甲第一一号証の遺言書が作成された経緯、時期、これが乙山を通じて原告に交付された経緯、時期についての証人乙山の証言は首尾一貫しないところが多々あり、要するにこれらについては明確な記憶を欠くというもので、その証明力は微弱であると言わざるを得ず、また、この点に関する、原告本人の「昭和五四年一月三〇日、太郎から『青桐の木の南側をやる。』と言われたので、『何に書いておいてくれ。』と言っておいたところ、同年二月二八日、乙山に退職金を渡した際、同女から、甲第一一号証の遺言書を、太郎から預っていた物として受け取った。」旨の供述は、前記被告ら指摘にかかるの事実、の事実、後記のとおり甲第一一号証の遺言書は、疑義を差しはさまれる余地があるにも拘らず、原告は太郎に対し同旨の内容を別紙に書き直して欲しい旨求めたことがないとの事実に照らし信用できないか(ⅰ)右大西鑑定の結果、(ⅱ)甲第一一号証の遺言書中には、「一郎ニ一郎ニ」、「昭和五拾四拾年」というような二重筆記、「譲ル」という誤字、「遺」という文字に代表されるような結体の乱れ、線の震えや切れなどが見られ、故意に偽造する者が、あえてこのような、後に問題を起こす可能性を含む記載をするとは経験則上考えられないこと、(ⅲ)二郎自身検認時これを太郎の自筆によるものと認めていることに照らせば、いずれも前記認定を左右するには足りない。なお、被告らは、前記のとおり、の点を指摘するが、の点については、甲第一一号証の遺言書自体、極く短く、また時間をかけて念入りに作成されたものとは言い難いことに照らせば首肯できず、の点についても、確かに太郎はかねてより原告と二郎に平等に財産を分けたいとの意向を持ち、不動産を順次贈与していたことは認められるものの、本件の土地等、太郎が贈与することなく自ら所有し、現に本件建物の敷地として使用していた土地について、これをどのように処分するかを、かねてからの右意向のみに縛られず自らの判断で決することは、前記のとおり、昭和五四年一月三一日の入院が二郎の強い勧めにしぶしぶ従ったことより実現したもので、その際、原告は太郎の意向に沿ったらいい旨の意見を述べていたことや、乙山と二郎の関係が余り円満にはいっていなかったことに照らし、あっても決して不自然であるとは言い難いので、これらは前記認定を何ら左右するものではない。

二  争点2(甲第一一号証の遺言書は自筆証書遺言としての要式を具備した有効なものか。)について

1  日付の記載

(一) 被告は、前記のとおり、甲第一一号証の遺言書に、日付として「昭和五拾四拾年一月参拾壱日」との記載があることをもって、かかる年は存在せず結局同遺言書は日付のないものとなり無効である旨主張する。

(二) 確かに、民法は、遺言者の真意を確保し、偽造・変造を防止するために、遺言に厳格な方式を要求し、同法九六八条一項は自筆証言遺言には日付の記載が必要である旨規定している。これは、その記載が、遺言能力の有無を確定する基準として重要であり、また、複数の遺言書が存在してその内容に抵触がある場合に遺言作成の前後を確定する手段として不可欠であることから、遺言に必ず特定可能な年月日を記載することを要求しているものである。

そこで本件について検討するに、「昭和五拾四拾年」なる年が存在しないことは疑いの余地のない当然のことであるが、その記載自体及び弁論の全趣旨に照らし、これが「昭和五拾四年」の誤記であることもまた明らかなので、右記載をもって特定の年月日の記載があると認めるにつき支障はなく、してみれば、右法律の趣旨に照らしてもこれを日付のないものとして無効とするいわれはない。

2  誤記部分についての削除訂正の欠如

(一) また、被告は、同遺言書には「昭和五拾四拾年」、「一郎ニ一郎ニ」という同義反復語があるところ、これについて適式な訂正がなされておらず、したがって民法九六八条の規定に違背するものとして無効である旨主張する。

(二) しかしながら、そもそも、加除・変更がなされているにもかかわらずこれにつき適式な方式を具備していない場合においても、これによって遺言書が無効になるのではなく、遺言書は加除・変更がなかったものとして有効であるところ、甲第一一号証の遺言書には、現実には、加除・変更はなく、単に二重筆記ないし誤記が認められるにすぎず、しかも、日付については右(一)で検討したとおり特定日の記載として有効であると認められ、また、「一郎ニ一郎ニ」の部分についても、その記載自体から太郎の意思を確認するについて全く支障がないので、これらが遺言の効力に影響を及ぼすものではないこと明らかである。

(三) なお、被告は、甲第一一号証の遺言書への押印は太郎本人によるものではなく、太郎が未完の書類として放置していたものに第三者が勝手になしたものであり、したがって同遺言書は押印を欠くものとして無効である旨主張する。

しかし、そもそも押印は遺言者自身の手によってなされる必要はなく、また、前記認定のとおり同遺言書は太郎の自署によるものであり、しかも、これに押されている印鑑は単なる三文判ではないうえ、かねてから太郎が使用していたものであるから、同押印は太郎の意思に基づいてなされたものであるとの事実が強く推認されるところ、本件全証拠によっても同推認を覆すに足りる事実は認められず、よって、被告による同主張も理由がない。

三  そこで、争点3(甲第一一号証の遺言書の内容)について検討する。

1  原告に譲るとされる「青桐の木より南方地所」の範囲

(一) 被告は、「青桐の木より南方地所」というのでは、当該青桐の木から他の青桐の木に対するゼロ度から一八〇度の範囲内で南方に向けて相互に引かれた直線内のいずれの土地の範囲内も意味し得るもので、その東西の間隔も、東側青桐の木から別紙図面までの、西側青桐の木から別紙図面までの、いずれの点によっても画されるもので、同表現によっては土地を特定できず、同表現は土地の範囲を示すものとしては無意味であり、したがって、甲第一一号証の遺言は無効である旨主張する。

しかし、遺言書を解釈するに当たっては、単にその記載のみから形式的に解釈するのではなく、作成当時の事情、遺言者の置かれていた状況などを考慮して、その真意を探究してその趣旨を確定すべきであるから、以下、同視点に立って検討する。

(二) 《証拠省略》によれば左の各事実が認められる。

(1) 甲第一一号証の遺言書作成時、太郎は本件(一)ないし(三)の土地、本件(四)の土地を含む本件(五)の土地及び本件(六)、(七)の土地を所有していた。

(2) 太郎は、前記のとおり、かねてから、原告と二郎に財産を均等に残そうと考えており、そのため、本件(五)ないし(七)の土地(当時は分筆前で、本件(八)の土地と共に全て、《番地省略》一、一二一九平方メートルということで表示される一筆の土地の一部)を、本件(九)の土地(当時は分筆前で《番地省略》の土地の一部)と共に二郎に対し贈与しようと考えるようになり、そのような考えでいることを二郎に対しても明言したりした。

(3) 太郎は、右考えに基づいて、昭和四一年一二月には本件(八)、(九)の土地を分筆し、昭和四二年一一月にはこれらを二郎に贈与して所有権移転登記手続をした。しかしながら、旧地番《番地省略》の土地の内残余の部分については、同所在《番地省略》との境界がその所有者との間で昭和三八年ごろから訴訟になっていたため、その時点での贈与は差し控えられた。ただ、同土地はいずれ二郎が贈与を受ける予定だということで、右訴訟についての訴訟費用、弁護士費用は二郎が負担し、訴訟準備等もほとんど二郎夫婦が担当した。

(4) 同訴訟は、昭和四六年一二月八日、実質的には本件(七)の土地とこれに相応する《番地省略》内の土地を交換することを内容とする和解が成立したことによって終了した。しかし、和解調書に添付された図面が実測と異なったため、その履行は難行した。

(5) 昭和四七、八年ごろ、太郎は、乙山の希望もあって、本件建物内での生活のプライバシーを考慮して、別紙図面の所に金網付のフェンスを施した。当時、本件(二)の土地は、太郎によって本件建物の庭として管理、利用され、また本件(四)の土地は二郎によって撮影用の場所として管理、使用されており、右金網付のフェンス設置後もその利用形態に特段の変更はなかった。

(6) 太郎は、昭和五一年四月一日、太郎名義の墓地の管理一切を太郎の死後は二郎に任せる旨の遺言書を自筆にて作成した。

(7) 太郎は、昭和五一年五月八日、脳血管循環障害により自宅風呂場で倒れ、一時意識がなくなった。

(8) そんなこともあって、太郎は、二郎と原告に財産を均等に分けるという視点に立った遺言書を作成したいと考え、昭和五一年六月ごろ、本件における被告ら訴訟代理人である岡野謙四郎弁護士に対し、本件(三)、(五)、(一〇)の土地及び杉並区《番地省略》宅地二四平方メートルを二郎に遺贈する旨の遺言書を作成したい旨相談した。岡野弁護士は同依頼に従い遺言書の草案を作成したものの、太郎に対し、場合によっては遺留分の問題があることを指摘したところ、太郎は、これまでの贈与物件、現在の財産等について調査してみる旨約したが、結局、同依頼は絶ち消えとなった。

(9) このころ、太郎は、二郎に対し、本件(三)、(四)の土地に跨がる形でアパートを建てることを勧め、二郎は、これに従い、昭和五二年初めごろ、同所に一、二階各六世帯の共同住宅を建築することを考えたが、結局、同計画は、二階建だと本件建物の庭が日影になってしまい、かと言って小さい建物を建てたのでは建てる意味がないということで中止となった。

(三) 右(二)で認定した事実によれば、「青桐の木より南方地所」の範囲としては、本件(一)ないし(三)の土地を指すものと解するのが相当である。蓋し、①太郎は昭和四一年ごろから一貫して本件(四)の土地はいずれ二郎に贈与するつもりでおり、本件全証拠によっても、昭和五二年から昭和五四年一月三一日までの間に太郎が同考えを変更したこと又は変更するに足りる事情の変化があったことを窺わせる事実は認められないし、②前記のとおり、青桐の木は地番境に植えられているのではなく、よって、その特定は、地番によるのではなく現実に存在する物をもってしていることに照らせば、本件(三)の土地と(四)の土地の間には現に太郎が設置した金網付フェンスが存在しており、本件(四)の土地については既に現に二郎が占有しているという本件状況下においては、前記表現は本件(一)ないし(三)の土地を指すものであると考えるのが自然であるし、③青桐の木は、本件建物の庭の中ではかなり目立つ木ではあるが二本の木の間の間隔は比較的狭く、二本の木を結んだ直線の延長線が本件(五)の土地のどこに来るのかは、図面にでもよらなければ容易に実感できず、したがって、仮に本件(四)の土地までも含めるとするならば、本件(四)の土地上にも、複数の木を始め、目標となりうるものがあるのであるから、これらを使って特定した方が賢明であるし、また通常そうするであろうと考えられるからである。

2  「青桐の木より南方地所を一郎に譲る」との遺言は、これをもって遺贈と解すべきか、遺産分割の指定と解すべきか。

遺贈は、遺言者が遺言によってなす財産の無償譲与であり、遺言によってなされる相手方なき単独行為であるところ、甲第一一号証の遺言書では「一郎に譲る」旨の記載があるので、これは明らかに遺贈の趣旨であって、遺産分割の指定とは到底解されない。

四  なお、原告は、予備的請求として、本件(四)の土地について死因贈与を原因とする所有権移転登記手続をなすことを求めているが、既に検討したとおり、本件全証拠によるも、昭和五四年一月三〇日の時点で、太郎に、自分の死後これを原告に譲る意思があったとは到底認められないので、本件(四)の土地についての同請求も理由がない。

五  よって、本訴請求は、遺贈を理由として本件(一)ないし(三)の土地について所有権移転登記手続をすることを求める限度で理由があり、その余は理由がなく、反訴請求は理由がないので、主文のとおり判決する。

(裁判官 川口代志子)

〈以下省略〉

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